2014年7月17日

盤上の星座


今さら何を、と思われるだろうか。1年以上更新していないこのブログ、気が散りやすいこのブログ、しかしついに続きを書く日がやってきた。


今期の名人戦、羽生が4連勝で森内を破り、名人位に復位したのだ。最後に更新した「盤前のピッチャー」で私は、森内というのはセットアップポジションの投手であり、この名人を打ち崩すのは果たして誰か、と書いている。森内をマウンドから引きずり下ろしたのは、やはり羽生であった。

羽生が4連勝したということは森内が4連敗したということで、4連敗と言われれば一般的には惨敗というイメージがあるかもしれない。けれど棋力マイナス5億の私の目には終始すごい対局に見え、勝った羽生も敗れた森内も、世界一かっこよいふたりに映った。

あんた甘いんじゃないの、4連敗の意味、知らないんじゃないのと思われるだろうか。ところが私は知っている、他に類を見ぬほどひどい4連敗を、経験している。

約10年前、私の大好きな阪神タイガースはセ・リーグを制して優勝した。そして同じくパ・リーグを制したロッテと日本一をかけて戦ったけど、まともな戦いにもならずに、後世に語り継がれる凶悪な4タテを食らったのだ。

まともでない戦いとは、何か?
たった4試合で終了した日本シリーズの、総スコアは33対4であった。4試合で33点も取られたすごさと、4試合で4点しか取れないすごさは、阪神にしか出せないすごさだ。しかも第一試合は日本シリーズ史上初、濃霧によるコールド負けだった。濃霧の日も優勝を決められた日も私は球場にいて、眼前で、ロッテのバレンタイン監督の胴上げを、無言で見ていた。私は、誕生日だった。

嗚呼この世界に、濃霧コールド食らった帰り道、側溝に落ちた人間はいるだろうか? 大阪まで遠征して4タテを食らい、敵の胴上げを見ながら誕生日を迎える人間が、一体どこに? おめでとうの垂れ幕は目に刺さり、ハッピーバレンタインの大合唱で鼓膜が破れた。よろめきながら帰京すればロッテ優勝セールに遭遇し、クールミントガムを10円で売って頂いたあのショック、今の阪神なら10円でも売れやしないと飲み屋でくだを巻き、タテジマのユニフォームに横線を足してチェック柄にして、今日から阪神チェッカーズだよ、ちっちゃなころから弱くってぇーと涙したものだ。

つまり、私は4タテに甘くない。

名人戦は4対0というスコアだったけども、4タテにはうるさい私だけども、素晴らしい内容だったと思う。そして羽生の勝利と名人復位は、私に島研のことを思い出させた。

このブログで島研トークショーのことを書き始めたのは、肌で感じた4人の違いを文章に残したかったからだ。羽生・森内・佐藤の3名が島の呼びかけにより集い、若い力をぶつけあった伝説の研究会、島研――――――――――トークショーで語られた彼らの思い出は、強く、輝き、眩しく、つかめない、幾つもの、星のようで、何だか星座のようで、超鋭角な二等辺三角形のハブ座、巨大台形のモリウチ座、見るたび形が違うサトウ座として、光を放っていた。そして正八角形のシマ座は、星座でありつつプラネタリウムの館長も同時にこなす。

今期の名人戦が終わったとき、私はそんな星々の会話を思い出していたのだった。


























トークショーの質疑応答で、将棋への興味を子どもに持続させるにはどうしたらいいかという質問があった。ハブ座は蒼く淡く柔らかな光をたたえながら「負けてあげてください、それに尽きます」とって、キラキラと笑った。

それを聞いたモリウチ座は底辺の2つの星をゆっくり点滅させながら「私も自分の子どもと指すときは、いつも負けている」と言って、ハブ座をちらりと見た。それから四隅すべての星をバチンバチンと点滅させて「妻は勝つことが多いので、家では私が一番、弱いことになっている」と前のめりになると、しゃくしゃの笑顔を見せた。

サトウ座は一呼吸置いてから「私が父に勝ってから、父は将棋をやめたようだった」と言った。夏の夜空が、一瞬、しんとなった。しかし佐藤の父親は実はこっそり勉強していて、定年後に級位認定試験を受けたそうだ。自分の父親と同名の人が試験を受けていると思ったら、本当に父だったとサトウ座は小さく瞬いた。そして「父は五段になった。60歳を過ぎてから強くなったのだから、私も年齢に関係なく強くなれると、今からでも証明したい」と言って、幾千もの流星を降らせたのだった。

リンゴーン!

私の頭の中で、鐘が鳴り響く。点在する記憶と記憶が結ばれて、結んで開いて線となり、線は矢となって、その矢はすごいスピードで脳天から発射されると時空を超えて現在の私の顔面に突き刺さった。

私は額の矢を引き抜きながら、証ー明ーーー!と叫んだ。
昨年、竜王への挑戦権を手にした43歳の森内は、開幕前のインタビューで「どんな年代でも活躍できるということを証明できれば」と言った。そして見事、竜王に復位し、証明してみせたのだ。

私は興奮のままに、額から引き抜いた矢を頭のてっぺんに刺し戻すと、羽生のことを思った。

森内から名人位を奪還した羽生は今季の勝率0.917、43歳にして7大タイトルのうち四冠を保持し、今なお強くなり続けながら、羽生善治が羽生善治であることを証明している。しかも未だ、証明し終わっていないと見える。

そして43歳の羽生が43歳の森内から名人を奪った日、くしくも立会人は佐藤であった。私は終局後のふたりを見つめる佐藤の顔が、今でも忘れられない。自分も証明したい、そう思わずに何と思うか。


今から2年前のトークショーの終わりに、島はこう言った。
「羽生さんも森内さんも最後はヘトヘトになって、耐えて耐えて、耐えた末に勝っている。楽をして勝つことなどありえず、地べたを這うようにして、この人たちは、勝っている」。そして半ば呆れ顔で、40歳を超えてからもこれほど強いとは思っていなかった、と続けた。「彼らが強いのは、己の核となるものがあるからです」。


4人は棋風も性格もこれほど違うのに、ただ一つの点では同じなのだろう。今日もどこかの盤上で、星が煌く。頭上には夏の大三角形が見える。私は頭に刺していた矢を静かに引き抜くと、空に放った。