2012年8月30日

ちっとも話が進まない

※これは島研トークショー連載の第4回です。先行記事は下記リンクより(文中敬称略)。
第1回「島研で幼児化」第2回「学びのキングマンション」第3回「一人称を間違えると大変」



<4>

「あのころは棋界の転換期だった。私が『島研』を始めたとき、私の中には美しい思いだけでなく、打算があった」
当時を振り返っての、島の発言だ。
島はよく、こういう物言いをする。
私は以前にも2度、島の口から打算という言葉を聞いたことがあり、それはどちらも「島研」についての話だった。


「島研」には打算があった―――何度も同じように言う島を見るにつけ、「島研」の重圧はどれほどだったろうかと考えてしまう。島はときに「島研」から俺の名を取ってくれと心で叫んだかもしれず、と私は勝手に、想像する。
羽生、森内、佐藤という、とんでもない力を率いているのが自分で、しかも「島研」という名がいつのまにやら一人歩きして、という感覚が島にあったとして、それは恐怖に近いんじゃないかと、やはり私は、勝手に想像するのだった。


だから島は「打算があった」と表現し、自分にトップ思考はないがトップグループ思考はあるんだ、と笑い飛ばす。
けれどそれは本当に打算なのか。
彼らについて行ければ自分は生き残れる、そう思って島は3人に声をかけた。
それは強くなりたいってことだ。強くなりたい、という気持ちは、打算なのか。
負けたくない、振り落とされたくない、という気持ちは打算か?


目をかけたルーキーと自主トレをするベテラン野手の気持ちは打算なのか。目をかけたゼミ生と共同研究する教授は、目をかけた若手画家と共同展示をする老画家は、芽に水かけて花を育てるその心は――――このまま目をかけたシリーズでいくらでもお送りできるがお送りせずに、それらの根底にある、もっと上手くなりたい、学びたい、創作したい、花よ育てよという欲求は、打算じゃないような、そんな気もして、


100歩譲って打算としても、私があまり好きじゃないみつを的に言えば、打算が・あっても・いいじゃない・人間だもの・という流れで、いや、やはりこれはだめだ、我ながらみつをが合わなすぎる、つまり100歩譲って打算として、打算があった方がいいかもよ、打算がないと、かえって大変かもよと言いたい。


人前に姿を晒す職業で打算のなさそうな人間を、私は一人しか知らない。
それは元・読売巨人軍の投手、桑田真澄だ。もっと他にもいるのかもしれないが、差し当たり何を置いても桑田だ。桑田の打算のなさが、私は大好きだ。阪神ファンの私が唯一、巨人なのに好きな選手だ。桑田は信頼できる。もし私に子供がいたら、桑田のリトルリーグに預けたい、そして一緒に弁当を食らいたい、桑田がたったひとりで考え抜いた、野球選手の身体に最も適した献立を味わいたい。


けれど、桑田には打算がなさすぎて、巨大な袋小路に身を置いているように見える。あまりに不器用で、たぶん将来監督になってもヘッドコーチともめる。監督なのにベンチでひとり、壁に話しかけそうだし、壁とキャッチボールしかねない。


だからこれは、打算がなさすぎても生きてゆくのは大変だよねという平たい話なのだが、でも本当に言いたいのは、強くなりたい、負けたくないという気持ちは打算とは違うんじゃないかってことで、でもそれを言うには気恥ずかしくて、私には言えないのだった。ああ私も打算なく書きたい、そう桑田のように。


私が桑田に気を取られて文章が長くなっている間に、壇上は新たな議題に湧いていた。「島研」当時の羽生、森内、佐藤の3人が、自分についてどんな噂話をしていたのか聞いてみたいという、島からの質問が出たのだ。


自分について、どんな話を―――?島は3人が何を言うのか、リスのような瞳で待った。そんな島の視線に包まれ、会場全体に、森っぽさが広がった。


羽生は、銀色狼。少年のような声でもって「3人で島先生の話をしたことは一度もない」ときっぱり言った。それを受けた森内は少し慌てるように、自分は無茶ばかりしていたので頭が上がらないと、木を切れないきこりのような口調で言った。森内の話を聞きながら佐藤は、そうだ森内はひどかったと言わんばかりに、こくこくと頷いて、その姿は夜のすべてを見渡すフクロウのようだった。


いま私の脳内では、森のお茶会が繰り広げられ始めたのであって、桑田の話もようやく終わりを迎え、お茶会、つまり飲み物という流れで私は各人の卓上に置かれた、ペットボトルに注目した。注目して、本当に良かった。そこで私は新たな着想を得ることとなる。


そんなわけで次回は、棋界の水問題について書こうと思う。






<つづく>
※すべて個人の感想です。感じたことと事実とは一切関係ありません。