2012年11月19日

盤前のピッチャー

※これは島研トークショー連載の第6回目です。
先行記事は目次にまとめてあります(文中敬称略)。



<6>

将棋は考えるゲームだ。
「考えようと思えばいつでも考えられて、盤と駒がなくとも、道を歩いてたって考えられる―――」そう言ったのは羽生だったか佐藤だったか島だったか?もはや私は覚えていない。誰かがそう言ったとしか、覚えていないのだ。


忘れてしまったのも当然で、あの島研トークショーから、すでに3カ月が経っていた。つまりこのブログを放置して3カ月ということだ。
棋界の水問題を紐解いたあと、私は一体、何をやっていたのか。一番応援する棋士の対局が(少)ないからって、いじけていたのか。いじけてブログをさぼっていたのか。対局がない上にもうすっかり気が散ってしまって、一行たりとも書けないって言うのか。


そう考える私の脳裏にとつぜん浮かび上がったのは、困り顔でこちらを覗きこむ、佐藤康光であった。
困り顔で私を覗きこむ、さとうやすみつ!
脳裏とは便利なもので、佐藤は私の顔をまじまじ見つめると、ため息をついた。そして私はようやく、佐藤の言葉を思い出した。


島研トークショーの終盤、子どもたちから寄せられた質問に羽生・森内・佐藤・島が答えるという時間があった。質問はアンケート用紙で集められ、私はと言えば、女子中学生風の文字でもって「さいきん見たこわい夢はなんですか?こわい夢を見ると私は1日落ち込むのですが、先生たちは、そんなときどのように対処しますか?」と平仮名を織り交ぜ書き綴ったのだけど、そんなことは今どうでもいい。


厳選されたいくつかの質問の中に、「やる気がでないときや(負けて)落ち込んだときはどうするか」という問いがあった。佐藤は、自分以外のせいにするのが一番良くないと言った。例えば昼に食べたもののせいにするとか、そういうのは本当に良くないのだと、未来の私を諭すように言った。


まさに今、対局が(少)ないからブログが書けないと思っていた私は、昼に食べたラーメンが伸びててやる気も伸び伸び、と言いかねないダメな人の見本であった。飯のせいなわけあるか、飯は悪くない、飯は尊い、佐藤先生ごめんなさいと、私は脳内で謝った。
けれど謝ったところで、そう簡単にやる気は出ない。


私の眼前に、3カ月という時の流れが立ちはだかっている。
とにかく時間が経ちすぎた、私やっぱりブログやめようと楽な方へと傾きつつも、最後の力を振り絞り島研メモを開いたらば「やる気が出ないときは出ないなりに待つ(森内の発言)」とあり、なるほどと過ぎた日々に納得したのだった。


この「出ないなりに待つ」という、鳴かぬなら鳴くまで待とう的発言が、森内には結構多い。例えば子どもの集中力を高めるにはどうしたらいいかという質問が出たとき、島研メンバー四者四様の答えがあったのだが、やはり森内は鳴くまで待とう的なことを言っていた。


「子どもにも集中力はある、遊びに向かう集中力を上手いこと勉強に向けられたらいいのではないか」という羽生の言葉は、大衆の心をつかむ。
「集中力がありすぎると周囲が見えなくなる場合もあるので、バランスのとれた集中ができるといい」と答えたのは佐藤、これは難しいタイプの心をつかむだろう。
そして森内は大きな背中を伸ばしたまま「集中力がなければないで、それなりに、なんとかなる」と大木めいた口調で言って、私の心をつかんだ。


心つかまれた私が口を押さえてむぐぐとなっていると、島がまとめに入った。「集中して盤の前に、ずっと座っていられる人がやはりトップになるのだろう。席を離れられると、こちらとしては楽ですから」。


このブログで島研トークショーのことを書こうと思ったそもそもの動機は、肌で感じた4人の違いを表現したいということだった。常に全方位を見据えて発言する羽生、マイペースに異空間を作り出す佐藤、出現した異空間に周囲が「おや?」となっていても一人だけ「おや?」とならない森内、それらのバランスを見守り、心の中に大切に、しまったり・出したり・しまったり・出したりする島――私はもう胸がいっぱいで、更にむぐぐ、となっていたらば「もしもプロ棋士になっていなかったら何をしていた?」という質問が飛んできて、その答えが、むぐぐの頂点を極めた。


もしもプロ棋士になっていなかったら―――羽生にとってそれは何度となく聞かれてきたことで、もっとも答えに困る質問だと言う。そして「私が聞きたいぐらいです」と爽やかに切り返す羽生を見て、森内が破顔した。


自分の答える番が回ってくると森内は、破顔を元に戻して真顔になると、電車が好きだから運転手と答えた。森内は更に続けた、己を振り返ってみると誰かと協調というのが難しい、それよりは職人、スポーツ選手など何かに特化した個人的な仕事ではないか、と。
佐藤はバイオリンを習っているが、そこに行かなくて良かったとしみじみした。森内の話を受けつつ、自分も個人の仕事だったと思うと、深く頷いた。


ここで注目したいのが森内のスポーツ選手発言だ。
ここに関してはどうしても、一家言ある私である。
前々から思っていたのだが、森内の所作は野球のピッチャーを思わせる、しかもセットアップポジションで投げるピッチャーである。
セットアップポジションって何?という人のために簡単な図解をする。





ピッチャーの投げ方は2種類ある!ワインドアップとセットアップ図解
【その1】振りかぶって投げるワインドアップポジション
ワインドアップ

【その2】ピタリと完全な静止をしてから投げるセットアップポジション ← 森内風
セットアップ





森内を見ていて思い出すのは、この投球前における、完全な静止である。
森内には静止という動きが、本当に多い。対局のとき、大盤解説のとき、インタビューに答えるときだって、森内はいつも静止している。静止という森内の動きは、私にセットアップポジションを思わせる。この気持ち・きみに伝えたく、今回は超図解を用意した。用意してしまった。絵で説明するなんて卑怯だろうか。それ以前にこの絵がどうなのかという問題もありそうだ。けれど攻め気を忘れずに、勇気を出してアップする。





【超図解1】大盤解説でピタリと止まる森内名人、背中と肘をピンとはって
超図解1

【超図解2】体は半身のまま、顔だけで振り向く森内名人。振り向きざまが何ともセットアップ
超図解2





大盤解説、駒を操作しながら森内は唐突に、例えば2秒ぐらい謎の静止をする。この2秒の間、森内は何を思っているのだろうか。5万手ぐらい先を、読んでいるのだろうか。超図解2の手元なんて、見て!この手にボールを握っていても何らおかしくないし、このまま投球体勢に突入しそうで、まさにセットアップポジションと言える。他の棋士もそうなんじゃないの?と思う人は何かの機会に見比べてほしい、今にもボールを投げそうなのは、森内だけなのだ。


野球ではランナーを背負ったときに、セットアップポジションで投げることが多い。森内は常にセットアップ体勢なので、まさに準備の将棋だと、私は思うのだった。


そして私は、森内の投げるボールを想像する。
きっとそんなに早くはないけれど、重たくて打ちにくくて、バットに当たれど前に飛ばない球だろう。完投する力もあって、バッティングも好きそうだからセ・リーグだ。この名人を打ち崩すのは、果たして誰だろうか。






<つづく>
※すべて個人の感想です。
またセットアップとワインドアップの違いは手の振りではなく軸足の置き方です。